個人プロフィール

身体検査

性別:男 血液型:O型 RH+ 身長:172.8cm 体重:51.8kg BMI:17.3 (2011年7月現在)

矯正視力:右1.0 左1.20 ※利き目は左です。

25歳にしてはじめて近視になりました。これはゼロ・シーリング下の某国立大学における照明の劣悪さによるものです。

名前の由来

さだかでない。たんに画数から、という説あり。自説としては「和」=peace(平和)と「典」=code(おきて、法)で、「日本国憲法第9条」を主張したい。

占いデータ

星座:「乙女座」 動物占い:「くろひょう」 回転寿司占い:「トロ人間」

誕生花:まんねんろう(Rosemary)……誕生花のお香を焚くときもあります。花ことばは「わたしを想って」:誠実にして親切な人柄なんだって (!o!)

占いでいちばんおどろいたのは、六占星術のみたて、「水星人のマイナス」、おまけに「霊合星」でした。こういう人は、絶好調のときさえスランプになり、絶不調のときにも幸運にめぐまれるという、吉凶まだら模様、波瀾万丈の人生になるそうです ...?^^);・・)?ロ_ロ)?

どの占いでも、金運だけは生涯にわたってめぐまれていて、「生活には困らない」とでます。ラッキー!

年齢

不詳。友人のmatt さんの意見によれば、「人間関係でいちばん重要でないのは年齢である」そうです。賛成 (^-^)/)

おなじ誕生日の有名人として、小田和正さん、山口美江(故人)さん、安室奈美恵さん、『ヒカルの碁』の主人公さん、長く副総理を務めているかた、などがいます。

生まれ

静岡県 静岡市(旧 清水市)

いわずとしれたサッカーの町。セルジオ越後さんをして「日本にブラジルがあった」といわしめたところです。あとは、次郎長(山本長五郎)さんでも有名です。でも、やぬしの生まれたところは山のほうなので、港に生きた次郎長さんにはあまり親しみがわきません。三保の松原、羽衣伝説の松もあります。

おわかりのように、勤務地が 自分の生まれた町(正確には清水と静岡の境)にあるという幸運に恵まれています。静岡市出身の同僚のひとりは、「授業がホーム・ ゲームのような」と評しました。着任当初は実家に単身赴任し、帰国子女のような感慨(そんな格好いいものか?!)にひたっておりましたが、いまはさほどで もない。

2003年4月1日、清水市の名前が消え、新「静岡市」という日本の市町村では最大の行政単位になったですが、2両編成の静岡鉄道の電車の駅名みたいだし、「うすら」という添え語を つけたくなります。たとえば、JR東静岡に新庁舎ができるまでは、旧静岡・旧清水で議会を分散開催します。この能率の悪さは、自分の身体に噛みつかれても、痛みを感じるまでに何分もかかるような「うすら」です。半世紀以上つづいた中学生同士の上越・清水交歓という意味ある行事も、「うすらでかい」が小回 りのきかない新市の誕生とともに消えました。

エスパルスも港も「清水」のままなのですが、旧清水の地名の99パーセントまで、「静岡市」につづけて「清水」がはいるという措置――たとえば、「清水市辻町」は「静岡市清水辻町」 になった――は、吸収以外の何物でもない、と思えます。2005年4月1日から政令指定都市となり、区制に移行しますが、「葵区」「駿河区」「清水区」っ ていったい何やねん。歴史的な連続性は想起させても、特定の時代への思い入れでしかない。

家族

大学時代の同級生の妻さん、高校1年と2年の男の子、そしてやぬし本人、計4人。

教員住宅が住まい。みなさん 人格者ですから、わが家族のさわぎにも苦情がでません。

上の子は中学校に入ってから 部活で卓球をはじめました。ママチャリもどきにのって、遠くの体育館まで試合にでかけます。いまだに幼さ満載で、根気も注意深さもないので、心配も山積み です。学校では意外と人望もあるらしいですけれど、家のなかではそのカケラもみせてくれません。

下の子は兄と対照的にいろいろなことに遠慮がちですが、いつのまにか挑戦してできるようになっています。ボケは天性のものがあり、がんばり屋のボケ(?)が役どころです。風呂あがりの腹筋やスクワットは、ずいぶんとさまになってきました。

妻さんはほんとうにできた人です。やぬしはこの人でなかったら、家族をもてなかったでしょう。ちょっと、おノロケ (^_^;)

性格

若年寄(?)

高校時代の恩師は、「悠揚迫らぬ性格は本人の持ち味である」と評しておりました。繊細・虚弱で、くよくよと悩む一面もある。基本的に人見知りします。

食う・寝る・遊ぶが大好きな 大熊猫 --> ネコクマみたいなやつ。

アルバイト歴

こういうばあい、大学の非常勤講師歴は除外するんでしょう (--)ム!

家庭教師(最初の相手は中3、ついで小6~中3。計2名というのはすくない)、自動車教習所の指導員(朝6時から夜9時まで、よくはたらきました)、大工(壁塗りの基礎工事)、美 術館の絵の搬入、ファミリ・レストランの皿洗い、河合塾の採点など。

長になった歴

中学時代の生徒会長(いまだにニックネームは「かいちょ~」だったりする)、大学学生自治会の学部委員長、生協『書評』誌の編集長、大学院自治会の委員長、生協院生委員会の委員長、教員組合の書記長、教員組合連合の副委員長=短大部会長。

現在は存続していないものも多く、最後から何番目の長というのが、役どころなのかも。「おまえがつぶした!」とはいわれませんが、時代におくれているのかもしれません。

なぜ、いまの職業をえらんだのか

こたえにくい (^^ゞ

小学校の卒業式、将来の職業の自画像をえがきなさいといわれて、130名あまりのなかでたったひとり、「小説家」にした思い出があります。「もの書き」にあこがれていました。

中学校時代、なぜか共産党支持者でした。『共産党宣言』や『空想から科学へ』をちいさな本棚にならべてよろこんでいました。読んだ記憶はないのですが (^_^;)

高校2年生のとき、研修旅行で奈良・京都へゆき、楽しめませんでした。有名な神社仏閣をじっさいにつくった/つくらされた人びとは、どのような境遇にあったのだろうと、思いをめぐらせつづけました。根拠のない想像でしかないのですが、権力と民衆、民衆への(一方的な)おもいいれ、というのは、これが契機でした。いまだに相対化できてない(苦笑)。

大学浪人生活中、自動車教習所の指導員をしていて、「ちゃんと資格をとったら、跡継ぎにしてやるぞ」といわれました。かなり動揺 (O_O)

--> 十二指腸かいようで2ヶ月間の入院。体力勝負のしごとは、まったく向いていないことがわかりました。さいわいにして、病院のベッドでやった受験勉強が功を奏したか、大学に入学できました。ほかにすることのない入院生活は、じつは絶好の受験勉強の場かもね フッ(~ー~)

大学2年、運命の書といえる、柴田三千雄 『近代世界と民衆運動』(岩波書店、1983年)に出会う。一族郎党のなかから大学にいったのは自分で3人目という田舎者であり、ある大学院生から「読書会」をやるといわれ、何を血迷ったか、「それは、絶対にでなければいけないもの」であると思いこみました。大学生協の店頭にこの本はな く、注文のしかたさえわからなかったので(なんて奴!)、知っている本屋をまわって4軒目でやっと手にいれました。

読んでも読んでも、わからない。辞書をひいても、百科事典をみても、頭のなかにイメージがわかない。すべての頁で途方にくれてました。第3章「民衆の世界」は、とくにそうでした。この読書は苦痛以外のなにものでもなかったのですが、民衆=弱者=正義という偏見、先入見にとらわれていたやぬしを、解放してくれました。内容の理解はこころもとないのですが、とにかく新鮮でした。「モラル・エコノミー」やE・P・トムスンの名を知ったのも、この本、この読書会のおかげです。

※大学3年、6月、前年の秋からしっくりいっていなかった女性にふられました。ずいぶん、ひきずった。何をやりたかったわけではないのですが、自分を奮いたたせるために、このころはよく、「大学院にいってやるっっっ」と叫んでいました。

大学3年、晩秋のある日曜日の午後、ある決心をして、かつ臆病者にしては最大限の勇気をふるって、近藤和彦先生の研究室のドアをノックしました。近藤先生は、当時からずっと日曜(週7日)出勤です。

「ぼく、モラル・エコノミーをちゃんと勉強してみたいんです。」休日の闖入者にたいして、先生は30分ほどの手ほどきをしてくださり、どの論文を読むか、その文献はどうやったら入手できるか、日本語の文献で「モラル・エコノミー」にふれているものはあるか、などなどをレクチャされました。「そうか! 叩けば門はひらかれるんだ」と実感すると同時に、「こんな先生になってみたいな」と真剣に思いました。い まの職業を意識した、最初の瞬間です。

苦手なもの

たくさんありすぎて... とほほ (^^ゞ

短距離走 (運動会ではほとんどビリ)、長距離走(年齢相応)

早口の人、初対面の人

高いところ --> 飛行機(一睡もできずにイギリスへいった。帰りも同様)

しいたけ(あの食感がダメ)

授業の前半(緊張の極 致)、授業の終盤(時間におわれる)

朝(おきれない)、昼(あかるいと集中できない)、夕方(空腹はいやだ)、深夜(眠い、帰りたい)

※結局のところ、食って、寝てられればいいみたいです。

大事なもの

友情、家族、笑い(笑うのは人間だけ。ひとりでは笑えない)。

中島みゆきのWith には、

「誰だって 旅くらい ひとりでもできるさ

でも、ひと りきり泣けても、ひ とりきり笑うことはできない」

という、印象 的なフレーズがあり ます。

江口寿史『すすめ!パイレーツ』(集 英社)全11巻、いずれも初版本。

自由な時間。

とくいなもの

ないかも (/--)/ ひねりだして、あえていえば、料理... かな。あと、部屋の模様替えも趣味といえそう。

習性、そのほか

    • 出勤は週6日。基本線として、朝10時から夕方7時までかならず在室。ただし、土曜日は研究会・学会があるとでかけます。研究室に宿泊したことは、2度ほどありました。

    • もっともはやくきた時刻は、午前6:40, もっともおそくまでいた時刻は、午前3:10. 構内の照明がみな消えてました。ところが、この時刻に帰るご同輩がいて、びっくり ...<;O_o>

    • コーヒー(大学時代から豆はかならずマンデリンでしたね)は2~3杯/日。

    • 牛乳は(コンビニのなかではローソンの牛乳がもっとも美味です)500ミリ/日。紅茶・緑茶はそれぞれ2杯/日~。

    • フルーツ・ジュース類、ミネラル・ウォータもかなり飲みます。胃の痛む日には、やさしいココアも。

    • 体内の循環をよくするのが重要である、と妄信している。これだけの水分をとりますと、となりの部屋の方からは「トイレのちかい人」とみなされます。コーヒーを飲むときのお菓子は、ピーナッツチョコが多い。「カッシュ」というキャラメルを偏愛したことも。チョコレート・ バーのたぐい、とくにキットカットなども好きですねぇ。緑茶、烏龍茶のときは、なんといっても、しょうゆ煎餅をかじるのが至福です (ё_ё)

    • 晩酌はしません。アルコールを分解できない体質みたい。辛いものは好きなんですが。

    • 体質といえば、極端な寒がり。反対に暑さにはかなり辛抱強い。真夏でも研究室のエアコンをつかわないですごします。「体内の循環を...」という妄信も、エアコン嫌いを助長している。扇風機やうちわ、扇子を愛用。

携帯電話歴

1997年9月~現在。初代は P203(1997年9月~1999年8月), 2代目が P501i(1999年8月~2002年11月)。3代目は、2002年11月に何気なく入会していた DOCOMO Club の利用ポイント引き替えサーヴィスで無料でゲットしたP2002 (2002年11月~2004年12月)、イギリスに連れていったらバッテリがへたり、1日でさえもたなくなりました。現在は、4代目の F900iC と5代目 vodafone 702NK です。DoCoMo のメインの着メロは「アンフェア」の雪平着信音です。何にしても、電話が鳴ることはほとんどないっすね。vodafone は塾へゆく子どもたちのお守りがわり。6代目S11HT(2009年1月)はある事情から複数の携帯電話をもちたくなり、回線の速さでイーモバイルをえらびました。2010年1月には5年を経過した F900iC が突然に起動しなくなってしまい、SH02B というモデルを速攻で購入しています。もはや、キャリア内での選択は機能というよりも、デザインの優先順位が高いですね。

ワープロ歴

1986 年12月~1995年8月。初代 文豪ミニ5E(1986年12月~1987年12月),2代目 文豪ミニ5G(1987年12月~1988年6月:近藤先生から中古としてゆずりうけました),3代目 文豪ミニ5HD(1988年6月~1991年12月:デビュー論文を書いた思い出の小機械),4代目 文豪ミニ5SX(1991年12月~1995年8月:パソコンと併用していましたが、義父へ移譲。生死不明 → 2002年4月、元気にもどってきましたが、FDドライヴ不調のため、同年10月に廃棄).

NEC一筋でしたね。

パソコン歴

1993 年3月~,初代NEC9801 BX(486SX 20MHZ, HD 120+240MB, メモリ12MB, 2001年3月に廃棄),2代目 EPSON 486 NOTE(486SX, HD 200MB, メモリ8MB, 1993年12月~現存),3代目 Macintosh Performa 5320(1996年1月~1997年9月:前任校においてきたので、生死不明),4代目 Macintosh 4400/200(PowerPC 603e 200MHZ, HD 2GB, メモリ96MB, 1997年10月~2003年10月),5代目 iMac(PowerPC G3 400MHZ, HD 10GB, メモリ64MB, 2000年7月~:自宅で現役),6代目SHARP Mebius PJ100S(Intel Celeron 450MHZ, HD 11GB, メモリ64MB, 2000年7月~:携帯ノート、いつも背中にしょってます;2002年10月にメモリを限度の192MBまで拡張;2003年1月に大容量バッテリを購 入).

WINDOWS 3.1 に乗り遅れていらい、ひたすらマックを愛用。メビウスくんではじめて、WINDOWS 98 SE にふれるまでは、MS-DOS ver. 6 のコマンドを操っていました。このメビウスくんは、アップル社から軽いノートがでるのを待ちつづけながら、ついにあきらめて2000年に、イギリスへとでかけた海外研修前に購入したものです。マックの OS は、すべて 9.04 です。OS X はプレインストール機がでてから、と思っていましたが、あたらしい iMac はスタイルはともかく ....。OS X 対応のソフトがまだまだ少ないのに、その基本システムの使用を強制されるのはいやです。

でもってついに、 2002年10月、6年以上にわたって慣れ親しんだ研究室のマック環境をあきらめ、WINDOWs XP に移行しました。かなりの荒技です。業者さんが「おなじ価格ならはるかに速いですよ」というので決意したのですが、操作の違和感はいまだに払拭できていま せん。7代目のPCは、Dell OptiPlex 260(Pentium IV 2.26 GHZ, HD 80GB, メモリ 512MB)です。17インチの液晶モニタは気に入ってますけどね。初代PCのHDよりもメモリ搭載量が多い。すげーなぁ。

2004年11月、中古パソコンですが、8代目PCになる dynabook SS SX (Pentium M 1.1 GHZ, HDD 40GB, メモリ256MB)をゲット。メビウスくんのバッテリ劣化がはげしく、また、つかいたいと思ったアプリが 98 SE では載らないので、非常勤講師=出稼ぎでためたお金で購入しました。いつもの衝動買いでなく、CompMart などでさわってみて決めましたので満足してます。2005年10月にメモリを512MB増設しました。

2005年10月には初の ThinkPad を購入。9代目PCは Lenovo ThinkPad X41 Tablet(Pentium M1.5GHZ, HDD 40GB, メモリ1GB)です。授業やプレゼンだけでなく、ふだんの勉強にも活用しています。思っていたよりも、底面積がひろく、また重いです。

2007年から2009年にかけては流しで買ったようなノートパソコン類ばかりでした。そういうなか、ひさびさに自腹で購入したのが、MacBook Pro です。マックへの回帰は、2002年の Windows への移行とはまったく異なり、Parallels Desktop の助けも借りてじつに容易でした。

座右の銘

Fortes fortuna adjuvat.

(直訳)「勇 気ある人びとを、幸運の女神は、助ける。」

(意訳)「なせばなる、なさねばならぬなにごとも。なさぬは人のなさぬなりけり。」

ふだんの格好

ジーンズ、Tシャツ、サンダル。学生時代のまんま (^_^;)

自分にはネクタイして授業することなんかできっこない、とかたく信じております。ですから逆に、そういうスタイルで授業をなさっている方をみると、尊敬してしまいます。いかにも勤め人という感じではなく、おしゃれな方はなおさらです。

1年間でネクタイをした日をあげると、入学試験監督の日、卒業式の日の2回だったりする。あ、そうだ、身分証明書の写真を撮った日もあった f^_^;

カラオケの持ち歌

松田聖子 (ぼくたちの青春だぁ!)の全曲、「心の旅」、「22歳の別れ」。あとは、「デビルマンのテーマ」と「真っ赤なスカーフ」。

よく聞くCD

中島みゆき、モーツァルト、ケルト音楽

バッハ『イギリス組曲』を聞きながら、昼寝をしています。

楽しみにしているTV番組

何といっても、「台風がきているときの各地の中継」。ふきとばされそうになるレポータ、荒れ狂う高波、風と雨、これは感動的です。

あとは、「古畑任三郎」を はじめとする三谷幸喜の作品。伊藤俊人(科研の桑原くん)さんが亡くなったのは、辛いことでした。